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トゥールスレン虐殺博物館

元高校の校舎を利用した拘置所。

ここも6ドルで音声ガイド付き。

ここほど迫力のある場所は、経験ありません。



真ん中の広場を囲んで、4つの元校舎が建っています。
クメールルージュがやってきてまずやった事は、都会に住む人々を地方に移送する事でした。僅か3、4日たらずで首都プノンペンから人が居なくなり廃墟と化したと言います。その後、難癖つけて捕まえた被害者が連れてこられたのがトゥールスレンを代表する拘置所です。ただ、拘置所や処刑場の存在は国民には秘密だったので当時は名前がなく、S21と呼ばれていたということです。



ここでは捉えられてきた人が拷問されていた様子や、その道具などを見ることが出来ます。生々しい白黒写真もあれば、生還者の手による絵も展示されています。
写真の囚人はみんなやせ細っていて、置かれている環境の過酷さが伺えます。



一方、クメールルージュの党員の写真も残されています。見ると、10代そこそこの青少年が多いことに驚きました。
ポルポトは地方の読み書きも出来ない若者を集めて洗脳し、軍隊を作ったそうです。ここでは、読み書きが教育されたわけではなく、規律と絶対服従だけを叩き込まれたようです。



実際拷問に使われていた部屋に入るとクメールルージュ撤退後にこの施設を発見した当時の写真と、拷問に使用されていたであろう鉄製のベッドがあるだけですが...
床のシミや、壁から突き出た金具など、恐ろしい想像が頭を巡ります。しかしそれは妄想ではなく、実際にあったことです。貴重な体験をしました。



とにかく、建物の中の迫力が凄いです。当時のままの建物の、壁についた傷や文字やシミの1つ1つが恐ろしい想像を掻き立て、暑い中でしたが鳥肌が立つほどでした。10代の若者が洗脳され働かされており、彼ら自身も罪に問われる不安と戦いながら過ごしていたという意味では、彼らも被害者といえるかもしれません。



クメールルージュの若者が収容された女性に恋するが、思うようにならず苦しむというエピソードもあり、こんなことがなければ普通の若者として過ごしたはずです。
恐怖、戦慄、なんとも言い表せませんが負の感情のあとは、なんだかやるせない気持ちになりました。



キリングフィールドもそうですが、ここに訪れるまでは興味もなく、虐殺のことなんて全く知りませんでした。しかし、慰霊の意味でも、歴史を繰り返さないためにも多くの人に訪れ、知ってほしいと思います。




*この記事は、旅ブログ『アジアしあわせ特急』 の下書きです。

2017年09月30日 初回投稿
2018年03月10日 一部修正
2020年10月10日 デザイン修正